
戦後まもなく明治生命館は、GHQに接収されました。地下にBX(=Base Exchange)と呼ばれるマーケットが置かれ、地上階の部屋は会議等に使用されたそうです。1949年、BXで働く日本人の一人に黒川道子さんという女性がおりました。ある日、翻訳を担当されていた米軍属(文官)がタイプライターを購入するため、BXを訪れます。一目で黒川さんを見初めたその軍属の方は、黒川さんをデートに誘ったそうです。いつしか二人は恋に落ち、1952年、晴れてゴールイン。数年後には、夫婦でハワイに移住しました。
出会いから半世紀以上が経った2009年10月。黒川さんは、「海を渡った戦争花嫁」という企画展のために来日し、その足で明治生命館を訪れました。実に60年ぶりに見た明治生命館は、あの頃より奇麗で、輝いて見えたとおっしゃいます。黒川さんが働いていらっしゃったのは、現在のセンチュリーコート丸の内、タイプライター売り場はバーマーブルの辺りです。センチュリーコート丸の内にふらりとご来店された黒川さんは懐かしそうに「コカコーラ」の文字が残る壁を眺めていらっしゃいました。
まるで昨日のことのように、黒川さんは当時のことを鮮明に覚えていらっしゃいました。ユニフォームの色はグリーン、大きな白い襟。日本人の若い女性や男子大学生が十数人働いていたこと、当時大学新卒の給料並みのお給金がもらえたこと、リンソーという洗剤の箱の壊れたものをもらって洗髪したこと、仕事のあとケチャップやピクルスをパンにはさんで食べてから銀座教会に英語を勉強しに行ったこと、コカコーラの文字がある壁にはアイスクリームの機械が二台壁に沿って設置してあったこと、コカコーラはニッケル5セントで発音はニコだったこと、軍属や将校は品のよい方ばかりだったこと、日本の若い女性は皆とてもモテて一日10人ほどからデートの申込があったこと、バッキー白片といったミュージシャンが演奏していた進駐軍クラブに皆で繰り出したこと、当時は江利チエミが進駐軍クラブで活躍していたこと、マッカーサー夫人がいらしてパーソナルチェックの現金化を希望されたがお断りしても嫌な顔一つされなかったこと。
終戦直後、貧しかった日本に突然流入してきたアメリカ文化は、それは強烈だったと黒川さんはおっしゃいます。印象深く覚えているのが、1949年に行われたクリスマスパレード。占領下の東京を描いた著作「ワシントンハイツ」(著者秋尾沙戸子/新潮社)によれば、占領が始まった1945年のクリスマスには、GHQの総司令部本部が置かれた第一生命ビルの正面に大きなクリスマスツリーが飾られたそうです。アメリカにとってクリスマスはそれほど重要な行事でした。先立つことわずか9日前、「神道指令」がGHQから出され、政教分離が実施されたにも関わらず、他ならぬGHQからクリスマスが導入されたことに日本側から不満の声もあがったようですが、「宗教ではなく季節的な行事」との説明がなされたといいます。日本に季節行事としてクリスマスが根づいた原点にはGHQによる占領があったのでした。
マッカーサーのアルバムに「なかでも1949年のクリスマスパレードは特別」と記されたそのパレードを黒川さんは目撃されています。125万人の人々が繰り出したパレードは日比谷通りで行われ、音楽隊、馬車の行進、その後に続いて、軍のトラックに派手なデコレーションを施した山車が登場。空軍一のハンサム大尉が出るというので押し寄せた女性たちの歓声がそれはすごかったそうです。当時は貴重なお菓子がばらまかれたので、日本人は大喜びだったとのこと。
1950年に始まった朝鮮戦争により、BXは24時間体制で大忙しだったでそうです。1952年の結婚後、黒川さんはワシントンハイツに移り住みます。ワシントンハイツとは、現在の代々木公園から国立代々木競技場、NHKまでの範囲に渡る都心最大規模の駐留基地で、主に将校用の住宅地として使用されていました。黒川さんは、とても大きな将校のお屋敷の隣に住んだので、よくメイドと間違えられたそうです。住宅の他にも、将校クラブや劇場、教会、映画館、プールなどがあり、将校クラブでは日野皓正といったジャズミュージシャンが出演していました。ワシントンハイツの少年野球団ジャニーズを率いていたのがジャニー喜多川氏。あおい輝彦氏が所属していた野球団が現在のジャニーズ事務所の前身です。ワシントンハイツにもたらされたアメリカ文化によって、日本の文化や風俗も大きく変わっていったのでした。BXからワシントンハイツへと、アメリカ文化の只中にいた黒川さんもまた、人生を大きく変えられた日本人の一人でした。
日本人女性、アメリカ軍属、そして明治生命館。その出会いは、歴史がなせる、まさに偶然の産物です。無数の偶然の出会いからまた新たな歴史が創られ、後から振り返れば全てが必然だったように見えてくる、60年という時を軽く飛び越えてしまう黒川さんのお話を伺っていると、歴史の不思議さを改めて思います。センチュリーコート丸の内をふらりと訪れてくださった黒川さんにお話を伺えたのも、これもまたうれしい一つの偶然だったのです。








